『麒麟がくる』第十一話感想 果たしてNHKに麒麟はくるか
今回は、『将軍の涙』。織田家と今川家の戦が始まり、次々と落とされる織田の城。
明らかに織田家の劣勢。
織田方は、ここぞとばかりに斎藤家との同盟に基づき援軍を要請。
しかし、道三はこれを拒否。
このことを伝えに、光秀を使者として尾張に遣わす。
光秀にとってはこのドラマ、四度目の尾張行きである。
どうあっても、光秀を表舞台に引きずり出したいNHKの苦心が窺える。
織田家において、信長の守役を務める平手政秀は斎藤家からの援軍を当然のことと思っていたので、光秀からの知らせを聞き、光秀や帰蝶を黙って睨みつけ去って行く。
信長は、和議しかない、と主張。
そこで光秀は、将軍家に仲裁してもらうことを提案。
道三にお願いするが、金がかかると拒まれたため、斎藤義龍の取りなしで美濃の守護・土岐頼芸に会い、将軍への手紙を書いてもらい、金も出してもらう。
その手紙を携え、久しぶりに京へ行こうとする光秀。
ところが、京は戦で乱れ、将軍は、近江の朽木に逃れていた。
道中再会した盟友・細川藤孝と共に、将軍に会いに行く。
ようやく、将軍により、仲裁の使者が遣わされる運びとなった。
国と国との争いを収めるのに、こんなにも遠回りしなければならない当時の有様をよく表現していた。
今回は、当時の紛争解決方法及びそのための手続きが一つの大きなテーマであった。
同時に、将軍・足利義輝が父から教わったという麒麟について触れていたことが印象深い。
病弱だった父から期待されて将軍になったのに、もはや将軍には何の力もないことを嘆く義輝。
「世を平らかに出来ない」将軍の無力さ。
しかし、一方で、その将軍の権威に期待を寄せる光秀のような人間が美濃にいることを心から喜んでいた。
だが、自分にはこの国を麒麟がくる国にできない、どこかでそう思っているようだった。
私は今日、改めて、駒に存在意義はないものと確信した。
そもそも、タイトルになっている「麒麟がくる」という言葉をあんなわけも分からない架空キャラに言わせるのではなく、最初から、義輝に言わせておけばよかったのだ。
そうすれば、ドラマ全体が重厚になり、もっと引き締まったものになっていた。
将軍でも呼べない、麒麟。
では誰に呼べるか。信長か、秀吉か。
結局、天下を統一した家康の頭上には麒麟がきたと言えるのか。
そもそも、麒麟とは何の象徴なのだろう。
現在の日本は、平和の象徴は鳩と言われるが、これと同じに解してもよいのだろうか。
それとも別の解釈が・・・?
そこまで哲学的な描き方ができれば、「麒麟がくる」のタイトルにも箔が付くのだが。
駒の登場でいかにも幼稚な安物ドラマで終わる可能性もある。
今後に注目したい。
今週のお題は仕事。
今回は戦国時代の仲裁までの道のりがいかにめんどうなものであったかがよく分かった。
使者の仕事も辛いですね。
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