『麒麟がくる』 駒と伊呂波太夫のせいで歴史が荒れ放題になっている
麒麟がくる
摂津晴門の計略。将軍足利義昭を助けた功績として光秀は領地を与えられるが、実は、その領地は横領されたものであり、将軍の政所執事である摂津晴門の仕業であった。裏で私腹を肥やす摂津の悪事を暴こうとする光秀。一方、将軍を助けて上洛した信長は二条城築城後、朝倉討伐のため美濃に帰らねばならない。後のことは、光秀と藤吉郎に託された。
ーこの世で一番偉いのはお日様。その次は帝。その次は将軍。将軍は帝の門番。我らはその門番を守る者にすぎないー
信長はそう語った。
幕府は腐っており、将軍は有名無実と化しており、もはや何の力もない。御所の壁も壊れたままである。一体誰が帝をお守りするのか。いや、そもそも、帝など守る必要があるのか、とでも言いたげである。
「余は神である、御神体(石)を拝め」
これは、1992年の大河ドラマ『信長』の中の天下統一目前の信長のセリフである。今回の信長はどこまでこの狂気を演じるのだろうか。
駒がくる
物語の半分以上を駒と伊呂波太夫に引っ掻き回されながら進んでいく。
どうして駒が足利義昭のために1000貫集める?
どうして伊呂波太夫が近衛前久だけでなく、帝とお近づきになる?
戦乱で荒れ放題というよりも架空キャラで荒れ放題になっている。
いつまで、歴史を侮辱するつもりだろう。
前回も書いたが、NHKの悪い癖である。
架空キャラの活躍や生い立ちを延々と流したいなら、別の番組にしろ、と言いたい。
なぜ、普通に描かないのだろう。
視聴率獲得のため、女性活躍社会を描きたいというセコい意図がしっかりと見てとれる。
今週のお題「いも」
「いも」は煮ても焼いても美味しい。
光秀たちが大活躍する戦国時代も「普通に」描けば、美味しいに決まっている。
それを極めてまずい味付けをするものだから、散々な出来になってきている。
酷い料理人を雇ったものだ。
これは食卓のおかずになりませんな。