『デジタル庁』がもたらす悲劇 パート2

『原神』問題から考えるデジタル万能主義の恐怖と自己責任時代の到来

 

 先日、『原神』というゲームがリリースされた。オープンワールド型のアクションRPGであるが、アニメ調のグラフィックが特徴的なゲームである。さて、このゲーム、プレイするためには、PCなどにインストールしなければならないが、ここで、とんでもない問題が発覚した。一度インストールしてしまえば、あるプログラムが組み込まれ、仮にアンインストールしたとしてもそのプログラムは常駐し続ける、というのだ。そのプログラムの正体はいわゆる、スパイウェアだとの情報がネットで流れた。運営側は、チート対策として、そういったプログラムを導入したと認めたが、同時に決して個人情報取得のためではないことも明らかにした。この問題がネットで騒がれたのは、このゲームが中国産だったからである。今もってなお、このゲームが安全なのか、危険なのか分からない。結局は、運営側に委ねられていることになる。さて、菅総理が、ネットゲームをするとは思えないが、このような事態は、ゲーム以外にも十分に起こりうる。あるアプリをインストールした瞬間に個人情報が流出する、だけでなく、仮にアンインストールしてもスパイウェアが常駐し、新たに取得した個人情報が次々に流れ続ける可能性がある。さらに、そのアプリがTwitterFacebookなどと連携していれば被害は広がる。加えて、課金制ということであれば、クレジット番号や口座番号も流出する可能性があるわけだ。我々はたった一度のクリックやタップでこんな危険を招いてしまうのである。ではどうすれば良いだろう。運営側を信用するしかない。もし運営主体の国籍が我々と同じ日本なら、(それでも分からないが)一応信用できる。では、中国ならどうだろう。結局は自己責任という都合の良い言葉で片付けられる。もし、自力でウイルスを除去するだけの知識があればよいが、デジタル端末使用者の中で、果たしてそんなことができる人間は一体、どれぐらいいるのだろうか。また、ウイルス除去のために割ける時間が我々にあるだろうか。我々は当然ながら、そのアプリを一日中しているわけではない。家事や仕事や勉強などのことを考えれば、ウイルス除去作業に貴重な時間を割くことはできない。では、余分なお金を払って業者に依頼すればよいのだろうか。最終的にはウイルスは除去されても、少なからず、時間はかかるだろう。その間に情報が流出してしまうことは避けられない。

 このような危険性を指摘すると、必ずといってよいほど、どんなものにも危険はつきものだ、危険を恐れていては前には進めない、などという反論が返ってくる。一般論としては、その通りだと私も思う。デジタル化、オンライン化によって我々は、ある面では、簡単に目的を遂げることができるようになった。そう、ワンクリックで情報を送受信できるのである。しかし、同時に、ワンクリックで危険も招いてしまう。アナログ時代はそうではなかった。情報は本で調べ、互いのやりとりは郵便を使った。時間こそかかるが、危険はまずなかった。それが今では、あまりにも簡単な動作で、重要な情報を意図せず、流出させてしまう。誰にでも起こりうることである。また、ネットによりある意味、国境が取り払われてしまったことも問題である。ネットに一度接続すれば、好むと好まざるとにかかわらず、世界中と繋がってしまう。人類皆兄弟と思っている人はそれでよいが、少なくとも私は、自国民と同じ信頼を他国民におけない。デジタル化、オンライン化が招来する危険のハードルはアナログ時代と比べて明らかに下がっている。「利益の帰するところ、損失もまた帰する。」昔の人間はうまく言ったものだが、ことデジタル化、オンライン化に関しては、不注意なワンクリックで大切な情報が流出してしまうことを考えれば、無意識に損失を招く確率の高さが際立って高い。そして、損失を被った者に対しては一言、「自己責任」で片付けられる。そんな世の中に今、なりつつあるのだ。

 

 

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