都構想 五年に二度の 茶番劇

都構想反対多数。『維新の会』の存在意義は否定された。

 

都構想

五年に二度の

茶番劇

 

 ようやくこの二度目の茶番劇が終わった。一度目は橋下氏が政界引退しそして今回は松井市長が引退を表明、吉村知事も自分の任期中は二度と大阪都構想を口にしないと明言した。彼らお得意の民意に忠実な姿は結構なことだが、一体、この『維新の会』は何がしたいのだろうか。そもそも、彼らの旗印である都構想を封印したならこの政党の存在意義はなくなるだろう。そのはずなのに、松井市長は「次の世代が…」などと敗北の記者会見で口にしている。自らの存在意義たる都構想を二度も住民によって否定されたのだから、それほどまでに、民意、民意と言うならば、潔く解党宣言するべきではないのか。都構想などというお遊びのために、金と時間を費す余裕が果たして大阪にあるのだろうか。

 

大阪を『都』とは呼べない

 そもそも都構想などというものは、道州制において、大阪を関西の雄たらしめんとする飽くなき野望がその根底にある。そして、その動機たるや、東京に勝ちたいという対抗心、あるいは、勝てないにしても、東京と肩を並べたいという、実にあさましいものなのだ。なぜ、あさましいか。大阪府民は己を顧みるがいい。私は、東京が、あるいは大阪以外の他府県の人間が、もっと言えば、そもそも、現代の平和を謳歌している日本人そのものが、非の打ち所なく立派で、かつ洗練され、また賢明であるとは全く思わない。私はこのブログでは、ほとんど、今の日本人のものの考え方や行動様式を非難している。その日本人の中にあってなお、下品の極致にあるのが大阪の人間だと思っている。その彼らが寄ってたかって作り上げ、褒め称えているものが、吉本とオバちゃんと粉もんの文化である。彼らは、これらを日本を代表する文化だと言って憚らない。もちろん、大阪が、どこか、辺境の未開の地であれば、こんなものでも、文化足り得るのだろうが、決して、日本どころか関西が誇るべき文化でもない。また、彼らは、自らの品の悪さを自認した上で、これを笑いに変え、芸人を使って売り物にしている。日本人は恥の文化だと言われて来た。しかし、その恥を捨て去り、品のかけらもない人間がいる所を『都』とは決して呼びたくない。断っておくが、もちろん、大阪の中でも、しっかりとした方々がおられるのは承知している。しかし、大阪発の放送から読み取れる大阪の人間のイメージは残念ながら、こういったものとして、少なくとも私には受け止められる。

もし、この都構想と道州制が組み合わされると、近畿一円は関西州などと呼ばれ、大阪都を頂点として、京都や神戸や奈良などは全て、衛星都市扱いとなり、その富は大阪に集められる。集められた富は、たこ焼きを頬張り低俗なお笑いを見ながら笑いころげるオバちゃんの腹の中におさめられるのだ。もう二度と、都構想など口にするな、と戒めたい。

 

今週のお題「急に寒いやん」

最近の若手芸人のお笑いは面白くも何ともない。聞いていて、寒くなる。テレビでは、褒めたり、笑ったりしてるけど、本気か?と疑いたくなる。

 

 

 

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