久しぶりに『麒麟がくる』
Yahooコメント欄に今更ながらの駒批判
帰蝶さまのいない「麒麟がくる」なんて……放送再開後、川口春奈はなぜ出演しない?(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
開いた口がふさがらぬとはこのことだ。
ヤフーニュースのコメント欄には駒に対する批判が多く記載されていた。
私に言わせれば、今さら何を言っているのか。
再三再四、私は言い続けてきたことだ。
世間の皆様はどうやら半年たたないと分からなかったらしい。
それどころか架空のキャラクターが歴史を引っ掻き回すのは近年大河の得意芸であることもこちらは承知している。
このコメント欄には、コロナの影響で架空キャラの露出度を上げざるを得なかったかような見方もあったが、全面的に否定はしないが、それが決定的な理由ではない。
架空キャラの活躍は企画段階から既に想定されていたのだ。
そのつもりがなければ、なぜ、4人もの架空キャラを導入する必要があろうか。
光秀の前半生が不明であることが、製作陣には幸いした。
架空キャラの暴れ放題なのである。
素人同然の浅知恵により、駒と帰蝶と光秀が三角関係になり、駒が秀吉に字を教え、駒が大見得を切って今井宗久を説得し、駒が足利義昭に信頼される。
こんなものを歴史だといって見せつけられるのである。
そのうち本能寺の変も駒が起こすのではないかと思わせるぐらいの流れである。
NHKをはじめほとんどの視聴者は、歴史文献に載っている事実と、こういった完全なデタラメを同一作品で描くということがいかに罪深いことか全く分かっていない。
以前も書いたが歴史に対する冒涜である。
実に品性を欠く行いだ。
しかしながら、理由はいくらでも付くもので、「一般人の目線から歴史を描くことでより肉厚になる」などと、『麒麟がくる』の初回放送前日の番宣で堂々とのたまった御仁がいたが、実際は肉厚どころか、薄っぺらなB級、C級の「なんちゃって歴史ドラマ」に成り果ててしまっている。
かの御仁は自分の発言に責任をとれ、と言いたい。
世間も世間だ。
架空キャラの登場をろくに批判もせず、それどころか称賛し続けてきたではないか。
半年以上経ってようやく駒批判とは、呆れ果てるばかりである。