コロナウイルスよりも恐ろしいマスクウイルス

 

 例によって、コロナウイルスの話題には事欠かない。

例えばマスク。もう、ホームセンターへ行こうが、スーパーへ行こうが、ドラッグストアへ行こうが100円ショップへ行こうが、どこへ行こうが、全く売っていない。

火がついたように皆、いっせいに買いに走った結果であろう。

オイルショックしかり、納豆ブームしかり、数え上げればキリがないが、私はどうもこのような半ば狂気じみた行動は解せない。

もちろん、今回は、コロナウイルス対策という健康上の理由であることはよく分かる。

しかし、一体、どういう神経で列に並ぶのだろう。

「自分は何とか買えたからまあ良い。でも必ず買えなかった人がいるはずだ。というより、圧倒的大多数の人間が買えなかっただろう。」

と、ここで、内心どのような心理状態なのだろうか。

「不幸にも買えなかった人間のことは残念だ。しかし、他人のことをいちいち気にしていられない。ともかくも、自分は生き残れるので安心だ。」と、多かれ少なかれ、こういう考えが一瞬でも巡るなら、それは、やはり人としてどこか醜い。

もちろんこんなことを口に出して言う人は誰もいない。しかし、強者どもが夢の跡、店頭にあるはずのマスクが無くなっているのを見れば、口に出さずとも私には聞こえてくる。

たかがマスク一つで大袈裟なことを言うな。死ぬわけでもなし。いちいち目くじらを立てるなよ。くれてやればいいじゃないか。と言われればその通りである。

だから私は意図してマスクは買わないことにしている。(実際、売ってないので買えないが。)

しかし、生死に関わらない、『たかがマスク』だとすれば、なぜ、その『たかがマスク』を求めて、数日で店頭から姿を消すほどに買い漁るのだろう。

過剰な報道もあったためか、極端にコロナウイルスに怯えるあまり、浮き足立っているように見える。

もちろん、誰が、何を、どれだけ買い漁ろうが、お金を払っている限り、法的には何の問題もない。(神戸赤十字病院のマスク6000枚の窃盗事件は論外だが。)

しかし、マスクを求めて列をなす人たちを見るにつけ、コロナウイルスよりももっと感染力があり、正常な判断力を奪ってしまうほど強力なウイルスが現在、この日本で蔓延しているのではなかろうか、と不安にならずにはいられない。

 

 

今週のお題「大切な人へ」

 

自分さえ助かれば良いと思っている人間に、人を愛する資格はあるのだろうか。