大河ドラマ『麒麟がくる』の視聴率が下落する理由

 それにしても、『麒麟が来る』の視聴率の急降下が止まらない。もちろん、いずれある一定の数値で止まるものとは思うが、それにしても下がるのが早すぎる。初回こそ19・1%という高視聴率でスタートを切ったが、2話17・9%(-1・2)、3話16・1%(-1・8)、4話13・5%(-2・6)という有様だ。第3話、第4話あたりが分かれ目となったものと思われる。では、第3話、第4話の何が問題であったのか。一言で言うなら、昨今の大河の悪い癖、架空のキャラクターが大活躍したからだ。まだ始まって間もないのに、この余裕はどこから出てくるのだろうか、不思議である。これで視聴率を取れると思っているのであろうか、と愚痴は絶えないが、そろそろ検証に移りたい。

 

第3話について

 

 第3話とはどのような内容であったか。前半20分を費やして、光秀の母と帰蝶と駒のたわいもない女子会トークが繰り広げられる。『美濃の狐の話』なるものを聞かされ、続けて、駒の歌を聞かされる。後半に入ってようやく、斎藤道三土岐氏の関係について触れ、いよいよ道三と息子の義龍不和、そして、義龍と光秀の友情が語られる。後半に関しては、あまり、戦国大河では触れられることのない内容であったので私としては、高評価である。そうすると、結局、前半の女子会が足を引っ張っていることになる。この女子会の話の内容の行き着く先は、架空のキャラクターである駒の人生に関わってくるもののようだが、私としては、はっきり言って全く興味がない。私だけではないのではないか。この20分にもわたる女子会トークの間に、一体何人の視聴者がチャンネルを変えたことだろう。正直言って、見続けるのにも忍耐がいる。私は、あくびしか出なかった。これを興味津々と聞いている視聴者は、そもそも歴史ドラマを見る必要のない人間だろう。別のトレンディドラマでも良いのではないか。

 

第4話について

 

 第4話というのは、「尾張潜入指令」などと御大層な文句が踊っているが、要は、

1、望月東庵なる医者が織田信秀のところに行き信秀の傷の程度を見てくる

2、光秀と菊丸という農民が少し遅れて尾張に潜入して、東庵と連絡を取る

3、その帰り際、潜入がばれて危うく殺されそうになる光秀を謎の集団が救う(菊丸に関係するらしい)

4、帰ってきた光秀にという東庵の助手が遠回しに恋心を伝えるが、鈍い反応を見せる光秀

 

このような流れで進行する。東庵も菊丸も駒もすべて本作のオリジナルキャラである。つまり、架空の人物が大活躍する完全な架空のストーリーというわけである。しかし、実は、この回の主眼は別にある。それは1の前、仮に0とするなら、

 

0、小豆坂の戦い(織田軍vs今川・松平連合軍)

 

と2と3の間、仮に2,5とするなら、

 

2,5、織田家に潜入した光秀と菊丸の前に竹千代(後の徳川家康)が現れる

 

0に関しては、オープニング前に軽く触れられた程度だった。光秀がいる美濃に関係がなかったからだろう。とすると、今回の最大の目玉は竹千代の登場ということになる。もちろん架空のストーリーであり、光秀と竹千代がこんなところで出会った記録はない。でも、何とか、両者を出会わせたかったのだろう。おそらく本能寺の変につながりを持たせる意図だろうか。明智光秀の若いころについては、記録がほとんどないわけだから、多少の脚色はやむを得ないところだろう。問題は、いかにそれらしく、また、面白く見せるか、ということになる。私個人としては、竹千代との出会いは、好印象である。だが、結局、このシーンにたどり着くには、「尾張潜入指令」の中盤に差し掛からねばならない。それまでの間、東庵や菊丸が活躍するありもしないストーリーを見せられる羽目になる。結局は、オリジナルストーリーであって、何もワクワクしない。退屈なだけである。東庵や菊丸との無駄にだらだらした会話を描くのなら、もう少し、小豆坂の戦いを描けばよかった。確かに光秀には直接関係ないかもしれない。しかし、本作のタイトルが『麒麟がくる』というのであれば、今川義元や、織田信秀のやり方で果たして、麒麟がくるのか、という大きな視点で見れば、光秀でないからといってあながち無関係とも言い切れない。もう少し両名について、触れてもよかったと思う。

また、尾張に潜入するなら、織田家の内情や家臣団について触れてもよかった。竹千代を出すなら、松平家や今川家の関係についてもたとえわずかでも描いてほしかった。これらをさておいて、東庵や菊丸との会話や駒との現代版恋愛を描く意味があるとは思えない。今回のような流れで、視聴率が取れると思う方がどうかしている。そもそも、戦国時代真っただ中で登場人物に事欠かないはずなのに、オリジナルキャラクターを複数も出す考え方が浅はかである。おそらくは、自由度の幅を広げて、脚本家としての腕を見せたいのだろう。しかし、今回に限って言えば、完全に、光秀の足を引っ張ている。

 

「さもありなん」の姿勢を大事にすべき

 

大河ドラマは、ワクワクしないと面白くない。そして、そのワクワクは予測可能性によって支えられているのである。ここが、普通のドラマとの違いである。次、何が起こるか、大枠は決まっている中で、一つの歴史的事件に遭遇した時の歴史上の人物の反応、対応、あるいは、そこに至るまでの流れをゆっくり紐解いてゆく。もちろんドラマであるから、100パーセント史実を描くことは不可能であろうし、そんなものは誰も要求してはいない。ドキュメンタリー番組になってしまっては、かえって息苦しく、ワクワクしない。そうではなく、当時の息遣いが聞こえてくるような生々しい戦国時代の有様を表現するように脚色せねばならない。ここが、脚本家の腕の見せ所である。いかにも「それらしく」、「さもありなん」という姿勢を忘れてはならないのだ。そこに架空のキャラクターなど入る余地は全くない。

 

今週のお題「大切な人へ」

 

恋愛に疎い男に片想いする女性。

駒とのシーンは、まるで、現代のラブストーリーだ。