「人生最大」の危機を乗り越えた英雄譚?

今週のお題「人生最大の危機」

    みなさん思い思いの人生最大の危機を綴っている。

一つのエピソードとして読んでいて興味がわくものが多い。

だけど私は、ひねくれ者なので、「人生最大の」などという言葉をおいそれとは使いたくない。

まずい事態なら色々遭遇したことはある。

だが、それは決して「人生最大」の危機ではない。

人間というものは得てして自分勝手なもので、少しばかり都合が悪い、具合が悪い、要するに、思い通りにいかない事態に遭遇した時、すぐに「人生最大」の危機に直面したかのように表現し、自分をあたかも悲劇の主人公に見立てる。

それも芸が凝っていて、表情や言動、態度など己自身を余すところなく利用して「最大」の危機に直面したことを、自分を主人公とする物語の視聴者たる相手方に伝えようとする。

そして、後になって過去のものとなった時、さも「人生最大」の危機を乗り越えた自分の英雄譚を後世に伝え残さねばという使命感にかられ、色々な場で延々とこれを吐き出そうとする。

それも多少の、場合によっては大きく脚色した上でドラマチックに仕立てあげようものなら、もはやそれは妄想の世界の話になる。

「人生最大」の危機などというのは結局、自分の人生の幕が下りる時、すなわち、死に際でないと分かり得ない。

現段階で何かしらの危機に遭遇したとしても、後々の人生において、その事態よりもはるかに都合が悪い事態に遭遇するかもしれない。

そうなった時、先に遭遇した事態は、「最大」の危機ではなくなり、後の事態がそれに取って代わる。

長い長い人生において、「最大」、「最悪」が何度もあるというのは厳密に言うと間違っている。

それを承知で「最大」、「最悪」と表現するのは、一種の誇張表現として用いているに過ぎない。

現在、過去だけでなく将来をも踏まえた上で、今起こっている事態を相対化してとらえた時、多くの場合それは「最大」の危機にはならないだろう。