中曽根元首相が亡くなった日、私はコンタクトを諦めた
11月の29日。寒い日だった。
以前から眼鏡を卒業してコンタクトにしたかったので2日前に予約したコンタクトを受け取りに行く予定だった。
が、この2日間、よく考えた。
私の目は遠視と乱視の2重奏で出来ている。
ところが、予約したコンタクトは遠視の矯正のみが施されたいわば妥協の産物だった。
どうして乱視が矯正されなかったかというと、対応レンズがなかったからである。
それ程までに私の乱視は強すぎたのだ。
斜乱視といってそれはそれはひどい乱視のようで現存するレンズメーカーはまず取り扱ってないのだそう。
ということで遠視のみのコンタクトになった。
ならば、遠視の度数を上げれば良いかというとそういうわけでもない。
遠視の度数を上げると激しい乱視を感じてしまう。
そうかといって遠視の度数を下げてしまうと今度は見えにくくなって、そもそもコンタクトをする意味がない。
2日前に装用練習も兼ねて、妥協したコンタクトを両目1つずつもらったが、つけてみてしばらく経つと、なんとも気持ちが悪くなった。
肩も凝った。
我慢できなくはない。
きっと、しばらくしたら慣れるだろうとは思う。
でも、明らかに眼鏡とは違う。
眼鏡はもちろん遠視も乱視も矯正済みである。
だから快適と言える。
眼鏡に比べコンタクトは快適とまでは言えない。
確かによく言われるように、コンタクトはある程度の妥協が必要で、眼鏡と同レベルの快適さを期待してはいけない。
それは分かるが、問題はどこに妥協のラインを引くかである。
私のような強度の遠視と乱視の二刀流の人間が乱視矯正を捨てて生きることは、眼にとって大きなリスクを背負うことになる。
よしんばその状態で斜乱視に慣れたとしても、1年先、5年先、10年先の眼のことを考えれば、眼鏡のままでいる場合に比べて、眼にかかる負担は確実に増大する。
今から、眼の悲鳴が聞こえてきそうだ。
加えて、コンタクトの取り扱い方も眼鏡に比べれば複雑にすぎる。
こちらは慣れてしまえばそれまでなのだろうが、コンタクトの付け外しから、洗浄液を使っての洗浄、こすり洗い、洗浄液を流し込んだ容器に清潔に保存。
こんなことを毎日やるのは余程の暇人ぐらいではなかろうかと思いたくもなる。
また、私のような初心者は付け外しに四苦八苦する前に、コンタクトの裏表が分からない。
裏表の判断基準として、印だのお椀型だの説明してくれるが、そもそも、コンタクトは眼の見えにくい人間がするものだろう。
そんな人間に細かい印だの形だのを視認させるのは酷というか、もはや拷問と言っていいだろう。
さらに、もちろん透明だからどこにあるのか分からなくなるのはもちろんのこと、下手をするとシリコン同士がくっついて実に厄介なことになる。
おまけに、保存液もケチるのは不衛生ということで、どんどん消費することになる。
経済的な負担も馬鹿にならない。
また、使い切りタイプだとコンタクト自体を3ヶ月分も抱え込まされる。
だから大量の未使用のコンタクトの置き場所も考えなくてはならない。
総じて、時間、金、場所、神経が恐ろしくすり減る。
そこへ行くと眼鏡なら、それらの負担は大きく減る。
そういったコンタクトのリスクやデメリットを承知の上であえて、コンタクトを選ぶ理由とは何なのか。
眼鏡をする前の自分に戻りたい。
ほとんどこの一点に尽きるのではなかろうか。(もちろん、スポーツやら何やらでどうしても眼鏡は掛けられない場合もあろうが。)
考え方は人それぞれだが、少なくとも、私は眼鏡なしの自分への憧れのために、上に書いた色んなものを犠牲にすることは、出来ない。
とても引き合わない。
特に私の場合は、散々、時間や金などを犠牲にしてコンタクトを付けても、強度の乱視を残し健康に不安を抱えることになる。
釣り合わない。
コンタクトは誤った選択だ。
結局、キャンセル対応をしてもらった。
仮に、斜乱視用のコンタクトが普及していれば、コンタクト装用の動機も強くなるのだろうが、まさか、作ってないとは。
店員さんに聞いてみたところ、技術的に不可能というわけではないが、どこのメーカーもこれから減らしていく傾向にあるという。
要は、売れないからだ。
しかし、揃いも揃って、全てのメーカーが同じことを考えている。
儲からないものなど作れるか!ということだ。
そんな会社の金儲けのために、私のような少数者は我慢を強いられることになる。
今回の件で、コンタクト自体に対する不信のみならず、コンタクトメーカーの拝金主義がよく分かった。
コンタクトがらみの闇の部分はまだまだありそうだ。
そんなことを考えながら、帰路についた。
そして、家に帰って、知った。
中曽根康弘元首相が亡くなったことを。
日本の政治家として様々なことを成し遂げた最後の大物政治家だと私は思う。
ただの政治家ではない。
礼儀礼節を重んじ、武士を思わせるような、凛としたたたずまい。
さすが、元帝国軍人だ、と感心する。
その中曽根元首相は当時のレーガンやサッチャー、そして、ゴルバチョフを相手に一歩も引けを取らなかった。
当時の日本の国力を十二分に生かして大国と渡り合ったのである。
こんな大人物を失って、これから日本の政治はどこに向かうのだろう。
中曽根さんは政治家は歴史法廷の被告だと言った。
今の政治家にその覚悟があるのか。
正直疑問である。
その目は曇っていないか。
闇に包まれたコンタクトレンズのように。