成人式不要論と徴兵制度の導入

今週のお題「二十歳」

 

 

若者の

覚悟やいずこ

酒の中

 

 日本人はとかく式典好きである。昔から様々な式典がある。

しかし、成人式ほど意味のない式典はない、と私は思っている。

ニュースでもブログでもどこでも、成人式といえば、今の若者への期待だとか晴れ着を着た思い出とか、要は慶ごととして話す人が多い。

安倍総理にしろ、去年、令和の元号が明らかにされたときもそうであったが、普段からしきりに若者の活力を評価するようなことを言っている。

が、私ははっきり言って若者には全く期待していない。

深い哲学もないくせにネットを使った生かじりの情報を得意げに披露して見せる若者はまず、己自身の無知を知るべきだ。

知識に飢えているなら、もっと本を読んで勉強しろ、と言いたくなる。

ネットは便利だが、それが全てではない。仮に誤った情報がないにしても、決して体系的な知識は得られない。

結局、その情報の価値の位置づけが分からないものだから、くだらない情報にしがみ付く始末である。

などとくどくど言っても、こんな意見に耳を貸す若者は、まあいないだろう。

少なくとも成人式にいる若者を見る限り、思慮分別のある者などいないように見える。

彼らの頭の中にあるのは式典そのものよりも、晴れ着の見せ合いや式典後の飲み会のことだけである。

大人の仲間入りなどと言われて公然と酒を飲んで暴れまわるのが関の山であろう。

子供のままの甘えた大人が増えるだけで、百害あって一利無しである。

いつだったか、橋本龍太郎元総理大臣の弟で高知県橋本大二郎知事が成人式で大声で「静かにしろ!」と怒鳴ったことが思い出される。

わずかの間でも静かにできない”無邪気な“大人がそこにいる。


 成年になると未成年者にはできなかったことが法律上できるようになる。

選挙権などはその代表例であるが、権利が与えられる一方で、義務が課されることももっと報じるべきである。

国によっては、成年になった途端、徴兵義務が課されるところもある。

私はこの徴兵制度を導入してはどうか、とまで思っている。もちろん、戦争などなかなか起こらないので、本来の意味の徴兵制度とはずれてくるが、ぬるま湯に浸かって甘やかされて育った性根の腐った若者を叩き直す制度として再評価されても良いと思う。全くもって無意味な成人式を税金を使って行うのであれば、何らかの形で未成熟な成年を教育するシステムを導入するべきではないのか。

 

 

 髪の毛を金髪に染め上げ、晴れ着や振袖で着飾り、人の話に耳を傾けず、酒を飲んでは大暴れして、カメラの前でピースしているような連中に、一体何を期待すれば良いのだろう。

まだ若いのだから仕方がないだとか、自分も若い時はそうだったとか、若いうちに楽しんでおけなどと言って、世間が若者を甘やかす声はよく聞かれる。

若いということをことさら強調してみても、決して無謀な行動が許されるわけではない。

 

ーー若い時から己の非力さ、未熟さをわきまえ、だからこそ足らずを補うため、日夜、研鑽を積むことに余念がないーー聖人君子とは言わないが、少なくとも日本の秩序を乱すような大人は増えて欲しくない。

が、成人式を見るにつけ、足手まといの大人が増えるだけのように思われる。