2020年2月12日まで募集中のお題『ドライブと音楽』は書きたくない

ドライブと音楽と交通事故

 

 さて、昨年5月、連日の如くテレビのトップニュースになったり、新聞の一面を飾ったりした話題を覚えているだろうか。

半年以上経って、どこのテレビも新聞も触れなくなり、何事もなかったかのようになっている。

月日と共に、交通事故で亡くなられた方々のことが忘れ去られていく。

サラリーマンの昼食の話題にものぼらないだろう。

結局、ネットを見てもこの有様だ。

『ドライブと音楽』がお題とは…。

細かいことに目くじらを立てるようだが、人間の忘れやすさとはこういうことなのだ。

マスコミに踊らされる人間がいかに多いことか。

マスコミが取り上げなくなった話題は、“なかった”ことになってしまう。

交通事故などと、耳に痛いことは早々に忘れ去って、車の心地良さをアピールし出す。

私はこういう人間の大多数が、交通事故が話題になった当時は一様に悲しんだり、加害者を憎んでみたりすることを知っている。

そして彼らは、交通事故の話題が消え去った頃を見計らって、コロッと手のひらを返したかのような言動に出る。

先日の怒りや悲しみは何処へやらと言ったような態度で車を乗り回し、よもや自分が事故を起こすことはないなどと高を括り、車内を心地よい音楽で満たす。

こういう偽善者がなんと多いことか。

こんなお題でブログを書き殴っている間にも、交通事故で決して少なくない犠牲者が出ている。このような風潮が車社会を容認してしまうわけだ。

心地良い音楽で車の中を満たすことと交通事故とは本当に別の話だと、心の底から思ってこのお題を書き記しているのだろうか。

確かに、無音だと寝てしまうだとか、音楽を聞きもって運転する方が、心地良いので、快適に運転できるので事故も少なくなるだとか、様々反論が聞こえてきそうだ。

しかし、無音だと寝てしまうぐらいの人間なら音楽があっても寝てしまうだろうし、そもそも、その程度の心構えしかないのなら運転するなと言いたい。

また、音楽を聞くとかえってそちらに集中してしまい運転が疎かになるとも言える。

音楽が感情に及ぼす影響というのを侮ってはいけない。

悲しい音楽を聞けば涙が流れ、勇ましい音楽を聞けば、闘争本能が刺激されることは誰しも経験があるはずだ。

たかが音楽ぐらい…と思うかもしれない。

しかし、たかが音楽ぐらいで人をはねた時、あなたは責任を負えるのだろうか。