渡部氏、不倫に思うこと

 

今週のお題「外のことがわからない」

 

今の時代、ネットを見れば、すぐに分かる。

知りたくもないような話題も目に留まる。

今回の渡部氏の不倫。

 結局、そういうことになるのだ。

芸能界の離婚など腐るようにある。

華々しく報道された美男美女の結婚。

当時は、あのお笑い芸人が、あの俳優が、“あの国民的美女”をまた一人、もっていった、などと報道される。
しかし、結局、1、2年で、浮気発覚・離婚、という結末になる。

そして、妻が“あの国民的美女”でも浮気するのか、などという見出しが踊る。

世間には、結婚したくても様々な理由で出来ない、いや、そもそも恋愛自体に発展せずに苦しんでいる男性は数多くいる。

一方で、テレビでなにかしら注目され、幸運にも“国民的美女”と交際し、やがては結婚する男性もいる。

もちろん、そのような男性は、美女の目に留まるほどの魅力というものを、多少なりは努力により磨いているのだろう。

しかし、その魅力がかえって仇となり、他の女性からも言い寄られるか、逆に、その魅力を武器に、別の女性に言い寄るなどという姑息さを覚える。

そもそも、女性と付き合いたくても付き合えるほどの魅力を持ちあわせていない男性からしてみれば、よりによってテレビでしか見たこともないような、あの美女と結婚していながら、別の、しかも、複数の女性と浮気するのであるから、たまったものではない。

もちろん、気に入った女性に次々とご自慢の魅力を振りまいて、浮気することは配偶者に対する裏切り行為であり、決して許されるべきではない。

私は、こんな話を耳にする度に、世の中の女性に、あるいは、男性にもこう言いたい、

もっと、人を見る目を養え、と。

はっきり言わせて貰えば、今の日本社会には、ろくな人間はいない。

道徳観や、倫理観を否定してきた教育のツケがまわっている。

だから、基本、自分がなにをするのも自由、という発想になる。

本能の赴くまま、浮気するのも自由、なのだ。

テレビで、謝罪し、ほとぼりが覚めれば許される。

気に入らなければ、離婚すれば良い。

結婚・離婚を繰り返し、バツイチ、バツ二の“勲章”をぶら下げて話のネタにすれば良い。

と、こんなことを書くのもおぞましいが、残念ながらこれが日本の現状である。

もはや、結婚というものは、意中の異性と添い遂げるという覚悟をもつほどの重いもの、ではなくなってしまっている。

だから、もし、納得のいく、結婚生活を望むのならば、どうか、人を見る目を養って欲しい。

そうした結果、まともな人間がいないことが分かれば、結婚なんかする必要はない、とさえ私は思う。

残念ながら、2年も交際して、相手の浮気癖も見抜けないような女性は、男性を見る目がないと言われても仕方がない。