部活愛の成れの果て

今週のお題「部活」

  「僕のすべての青春を部活に賭ける」

人の人生にとやかく言うとお節介になってしまうので、自由にすればよいが、こんなことを言っているのはおそらく日本の子供ぐらいだろう。

   戦後、GHQによって3S政策が日本に導入されたのは有名である。

ご存知、screen(映画)、sex(性産業)、sports(スポーツ)によって日本人を骨抜きにしようという政策である。

日本人はものの見事にこの政策にはまり、そして、この3つの虜になったのである。

    さて、部活動の中心は運動部である。

現に7割近くの子供たちが運動部に所属している現状がある。

運動部に所属する以上、1点を争う熾烈な競争に身を投じていくことになる。

勝ちへのこだわりは、やがて、熱狂となり、冒頭の言葉へと続く。

この運動部の代表例こそが、野球部である。

日本では完全に野球が定着してしまった。

親子で野球帽をかぶりメガホンを振る始末である。

そんなわけで、子供は当然のごとく、甲子園を目指して、中学、高校とひたすら、メガホン以上にバットを振る。

私は毎朝、甲子園に出場した経験のある高校の前を通るが、野球部が毎朝ランニングしている。

驚くべき光景はその後にあった。

学校の周囲をがむしゃらに走る彼等は、全員がある地点で足を止めて一定方向を見つめて深々と頭を垂れている。

私は当初、通行人にお辞儀をしているのかと思い感心したが、そうでないことはすぐに分かった。

彼等が見つめるその先には、喫茶店がある。

そして、その中には、なんと、コーヒーを飲みながらふんぞり返る監督が「いらっしゃった」のだ。

地域住民や通行人には目もくれず、トレーニングに打ち込み、監督や先輩には絶対服従する。

多かれ少なかれ、どの学校のどの部活にもこういった例は必ずある。

野球部の場合、そこまで練習に打ち込んでも、甲子園に出場できるのはわずか一握り。

その中からプロ野球選手として食べていけるのは極々わずかということになる。

そのために、いや、仮にそのためでなかったとしても、若い時代にひたすらバットを振ることに意味はあるのか。

よく、部活動を題材にしたマンガやアニメ、ドラマでは感動的なエンディングを迎えるが、現実はそうではない。

感情論ではなく冷静になって考えてもらいたい。

    ところで、甲子園に出場した北海道の選手が関西弁を喋っている光景をテレビで見た。どうも、甲子園出場のため北海道出身ではなく大阪からわざわざ引き抜いたらしい。結局、どの野球部もその地域を背負って戦うという性質のものではなくなっており、甲子園を目指して勝つために、その地域を越えてより有望な人材をかき集めているのである。

だから大阪など北海道以外の出身者で北海道になんの未練もない高校生たちが北海道を背負って甲子園に行く、という奇妙なことが起こる。

それを北海道の人たちは、頑張れ頑張れと応援する。

勝ったとしても残念ながら、それは北海道の力を示したことにはならない。

もちろん、北海道以外の他府県でも同じようなことをやっているだろう。

つまりはそこまで勝ちにこだわっている、いや、取り憑かれていると言っていい。

こんなことが許されている世界なわけだから当然、選手も片手間ではできない。

野球熱が高じて野球狂へと変貌する。

    言うまでもなく、学生の本分は勉学にある。

部活動はあくまで副次的なものでなければならないのに、ことのほか部活動に熱を上げ、勉学をおろそかにするのでは、本末転倒である。

部活動をしている方が勉強も良くできる、と無責任なことを言う人間がいる。

なぜかと理由を問うと、勉強と部活動を両立させるために限られた時間で勉強する要領を身につけるからだ、とか、部活動で育んだ根性は勉強でも活かすことができるからだ、といった答えが返ってくる。

別に否定するつもりはない。

確かに、要領や根性を身につけて、志望大学に合格した人間もいるのは事実だ。

けれども、良く考えて欲しい。

そうした人間と同じくらい、いや、それ以上に、勉強にのみ打ち込んで、栄冠を勝ち取る人間がいることを。

反対に、大勢の人間が両立に失敗し、挫折を味わっていることを。

都合の良い見方には必ず裏があるものだ。

数少ない例はどうしてもクローズアップされがちで、いつのまにか、部活動をすれば勉強もできるかのように都合よく理解されてしまう。

そうした理解は勉強が嫌いな者にとっては甘い汁になる。

非難を承知で敢えて言うと、部活愛は勉強ができない人間の都合の良い逃げ口上なのである。

私は部活動をことさらに美化して語ることには反対である。

    もちろん、自分の人生は自分で決めるものだ。

冒頭のようなセリフを吐くほどに部活動に打ち込みたければ、そうすればよい。

しかし、それは同時に他の選択をする機会を失ってしまうことも忘れてはならない。

 

 

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