伊勢谷友介氏はどうして、侍の覚悟を感じずに、大麻に走ったのだろう
近代日本の侍たち
高杉晋作、吉田松陰は新しい日本の夜明けを見ずして非業の死を遂げた。
やがて明治になり、大正、そして、激動の昭和がやってくる。
昭和に生きた侍、ジェントルマンなどと評価され、戦前は近衛文麿、戦後は吉田茂といった大物の側近として、時には苦言を呈したほどの人物、といえば白洲次郎である。
彼もまた歴史に名を刻む気骨ある男である。
彼らはいずれも己というものを持っていた。
例え周囲から異端な考えだと言われようと、役職から罷免されようと、あるいはまた、命の危険にさらされようとも、最後まで自分の考えを貫いた。
そうまでして、公のために尽くしたのである。
決して、大麻に逃げたりはしなかった。
NHKドラマで、彼らの魂が降りてきたかのような演技をして見せた伊勢谷友介氏は、一体何を感じていたのだろうか。
彼ら『侍の覚悟』というものを感じなかったのだろうか。
「吉田さんは立派だったが一つ大きな間違いをした。この憲法は廃棄すべきだった。」
次の総理には、大麻に逃げるような臆病者が出ないような、誇れる『侍の国』にして頂きたいものだ。
今週のお題「もしもの備え」
もしもの備えって…その「もしも」が起こってからでは手遅れになる。
備あれば憂いなし。
国防のため、憲法改正は不可避だ、なんてことは、ずっと昔から言い続けているのだが。
次期総理にはご理解頂けるだろうか。
渡部氏、不倫に思うこと パート2
離婚、別居はしないという選択肢
妻以外の女性をトイレに呼びつけては性行為に及ぶなどという、もし事実だとすればとんでもない裏切り行為である。
妻からすれば、夫のそういう行為は身の毛もよだつ行為だろう。
細かな事実関係までは不明だが、本人も大筋で認めているように報道されている。
にもかかわらず、妻は離婚、別居はしないという。第一に子供のため、第二はそれでもまだ夫を信じたい気持ちがあるのだろうと報じられている。
悲しいかな、現在、不倫や浮気は常態化しているように思われる。
映画やドラマでもそういう人物に焦点を当てた作品がヒットする始末である。
そして、どんな作品でも、物語の結末へ近づくにつれて畳み掛けるように次々と悲惨な展開が待ち受けている。
抽象的な言い方をすれば社会的な制裁が待っているのである。
しかし、現状、法律上は罰せられることはない。
民事上の慰謝料請求の対象にはなっても、国家によって訴追されるわけではない。
もちろん、強制の要素が加われば犯罪になるが、一般的な不倫や浮気をしても前科者になることはない。
しかし、それが元で、仕事を失ったり、世間から白い目で見られたりというような事実上の制裁を食らうことになる。
そういった人間の情交関係や愛のもつれには国家は干渉しない立場をとっているのである。
こういった部分は全て、道徳や倫理に委ねられているのである。
しかし、一度、道徳や倫理に背いた人間に慈悲を与えたところで、果たして、改善されるのだろうか。
なるほど、子供のために離婚はしないというのも一つの選択肢かもしれないが、果たして、その子供に将来、なんと言って説明するのだろう。
すでに広く顔も名前も知られている親をもつ子供の悲運である。
父親の恥も背負って生きなければならない。
謝罪さえすれば、立ち直ったと言えば、全てが許されてよいのであろうか。
私なら、法の裁きに代わって、家族からの追放という形の制裁を下してやるのが相当と考えるのだが。
一度でも犯した過ちは、(程度の差はもちろうんあるとしても)、過去に遡って消し去ることは出来ないのだから、それ相応の報いを受けて然るべきである。
またそうすることで、世にはびこる不倫、浮気の常習者に対する見せしめとなろう。
本人の“やり得”のまま、形ばかり謝罪すれば許される、というのではなんの手本にもならない。
世間に、世の中の甘さを示してしまったことにならないか。
悪いことをすれば報いを受ける、そう示すことこそが、子をもつ母の務めではあるまいか。
今週のお題「外のことがわからない」
渡部氏、不倫に思うこと
今週のお題「外のことがわからない」
今の時代、ネットを見れば、すぐに分かる。
知りたくもないような話題も目に留まる。
今回の渡部氏の不倫。
結局、そういうことになるのだ。
芸能界の離婚など腐るようにある。
華々しく報道された美男美女の結婚。
当時は、あのお笑い芸人が、あの俳優が、“あの国民的美女”をまた一人、もっていった、などと報道される。
しかし、結局、1、2年で、浮気発覚・離婚、という結末になる。
そして、妻が“あの国民的美女”でも浮気するのか、などという見出しが踊る。
世間には、結婚したくても様々な理由で出来ない、いや、そもそも恋愛自体に発展せずに苦しんでいる男性は数多くいる。
一方で、テレビでなにかしら注目され、幸運にも“国民的美女”と交際し、やがては結婚する男性もいる。
もちろん、そのような男性は、美女の目に留まるほどの魅力というものを、多少なりは努力により磨いているのだろう。
しかし、その魅力がかえって仇となり、他の女性からも言い寄られるか、逆に、その魅力を武器に、別の女性に言い寄るなどという姑息さを覚える。
そもそも、女性と付き合いたくても付き合えるほどの魅力を持ちあわせていない男性からしてみれば、よりによってテレビでしか見たこともないような、あの美女と結婚していながら、別の、しかも、複数の女性と浮気するのであるから、たまったものではない。
もちろん、気に入った女性に次々とご自慢の魅力を振りまいて、浮気することは配偶者に対する裏切り行為であり、決して許されるべきではない。
私は、こんな話を耳にする度に、世の中の女性に、あるいは、男性にもこう言いたい、
もっと、人を見る目を養え、と。
はっきり言わせて貰えば、今の日本社会には、ろくな人間はいない。
道徳観や、倫理観を否定してきた教育のツケがまわっている。
だから、基本、自分がなにをするのも自由、という発想になる。
本能の赴くまま、浮気するのも自由、なのだ。
テレビで、謝罪し、ほとぼりが覚めれば許される。
気に入らなければ、離婚すれば良い。
結婚・離婚を繰り返し、バツイチ、バツ二の“勲章”をぶら下げて話のネタにすれば良い。
と、こんなことを書くのもおぞましいが、残念ながらこれが日本の現状である。
もはや、結婚というものは、意中の異性と添い遂げるという覚悟をもつほどの重いもの、ではなくなってしまっている。
だから、もし、納得のいく、結婚生活を望むのならば、どうか、人を見る目を養って欲しい。
そうした結果、まともな人間がいないことが分かれば、結婚なんかする必要はない、とさえ私は思う。
残念ながら、2年も交際して、相手の浮気癖も見抜けないような女性は、男性を見る目がないと言われても仕方がない。
こんな時にパチンコ店や居酒屋へ行っている人間に現金給付してもパチンコ代と酒代で消えるぞ❗️
医療従事者にはエールを、愚者には天罰を
先日の産経新聞の産経抄(コラム)に面白いことが書かれていた。
要約すると以下の通りである。
英語のknifeやknockのkは『黙字』と言って現在は発音されていない。
しかし、古英語では発音されていた。
面白いのは日本語にも黙字はあるという。例えば『要請』。
そう、自粛要請、休業要請の『yousei』である。
どうやら、隠れた『k』の文字が見えていない人が多いらしく、いまだに、都会から離れた地方のパチンコ店へ入り浸ったり、夜遅くに居酒屋から笑い声が漏れ聞こえてくるという。
強制(『k』yousei)されるまでもなく身を慎む日本人の美徳などどこへやらなのだろうか。
最後に、自制や自粛に心を砕く一人一人が、息苦しい夜(night) から社会を救う勇士(knight) だ、と締めくくっていた。
こんな時にパチンコ店や居酒屋に行く人間がいることに驚いた。
もはや堕落病の末期的症状としか言いようがない。
一方で、感染リスクにもかかわらず、献身的に患者を看護されている医療従事者の方々には敬意を表したい。
死をも恐れず、昼夜も問わず、患者に寄り添うあなた方こそが真の勇士だ。
パチンコ店や居酒屋に入り浸る人間などに現金給付をしてもどうせ、パチンコ代と酒代で消えるのは目に見えている。
こんな堕落病の感染者も我々と等しく現金給付の対象になってしまうのは全くもって腹立たしい。
その分、医療従事者の方々に分けて欲しいぐらいだ。
お題「#おうち時間」
『自粛要請』だからなるべく家にいます。
『麒麟がくる』第十四話感想 果たしてNHKに麒麟はくるか
見事なうつけの誕生
「100、200、いや、300」鉄砲の数を数える道三。
それらを従える馬上の信長の姿は、まさにうつけそのもの。
信長という男の器量を測りかねた道三は、彼を襲うのではなく、堂々と会見することにする。
道三の前に正装をして、一人で現れた信長は、この装束も鉄砲も皆、帰蝶が揃えてくれた、
自分は帰蝶の手のひらの上にいる、織田家の重臣にも見限られた、などと言った。
これを聞いた道三は、うつけ者じゃ、と笑う。
しかし、信長は、前田利家と佐々成政の2名を呼び出し、これらの者は三男坊、四男坊だが、一騎当千の働きをする、織田家は出自も定かではないし、身分も低い、だから、生き残るためには、家柄や身分ではなく、能力がある者を取り立てていかねばならない、と本質を言い当てる。
まさに道三と同じ考えであった。
年若いのにそれを見抜くとは、「見事なうつけじゃ」と気分よく大笑いする道三。
村木砦の戦い
一方、今川家の軍師・太原雪斎の死期が近づくなか、今川家は再び、尾張に進軍。村木砦を築いた。
織田家からの援軍要請に対し、道三は息子・義龍らの反対をおしのけ、織田彦五郎を牽制するため、那古野城に援軍を差し向ける。
そして、光秀には村木砦に行って信長の戦い方を見て来いと命じる。
信長は、鉄砲を使って見事に村木砦を奪い取った。
うつけ者が率いる織田家との絆を深めることに反対する義龍に対し、道三は、やがてお前も信長にひれ伏す日が来るかもしれん、と言ってのける。
そんな中、義龍の母・深芳野が死に、義龍は道三に家督を譲るよう迫る。
そして、とうとうこれに応じる道三・・・。
今回は、聖徳寺の会見を機に斎藤家と織田家の絆が深まったこととは反対に、斎藤家での父子対立が決定的なものになった。
道三の思いは息子ではなく、信長に託されてゆく。
迫りくる道三の最後と桶狭間。
未だ、戦国の世に名も知られていない藤吉郎は・・・ボコボコにされていた。
今週のお題「ゲーム」
『信長の野望』。
よくプレイしていました。
『麒麟がくる』第十三話感想 果たしてNHKに麒麟はくるか
土岐頼芸の追放
土岐様と一戦交えるとの道三の宣言に、光秀は難色を示した。
とはいえ、明智家を取り立ててくれたり、自分を京へ派遣してくれたりと、何かと便宜を図ってくれる道三に恩義を感じ、自分は、道三のことが嫌いだが、ついて行かざるを得ない旨、道三に告げる光秀。
これに対し道三は、土岐様を殺すつもりはないと答えた。
前回、土岐様から贈られた鷹で危うく命を落としかけた道三は、土岐様を殺す代わりに土岐様が可愛がっている鷹を全て殺すことで威嚇した。
道三の息子・義龍は、土岐様への忠誠を示すために駆け付けるが、肝心の土岐様は道三の仕返しに恐れおののき、逃亡する。
義龍は、父・道三に詰め寄り、「お前」と父を罵り、怒りをあらわにするも、「言葉は刃物ぞ」と逆に一蹴される。
斎藤父子の衝突がより鮮明になった。
藤吉郎の登場。でも駒がらみ
さていよいよ、もう一人に主人公とでもいうべき、光秀のライバル・秀吉の登場である。
まだ、藤吉郎と名乗り、織田家よりも今川家が俄然、出世に有利と考えていた。
道中、『この一矢に定むべし』の話が出てくる。
矢を二本持つと、後の一本を頼みとして、最初の一本をいい加減な気持ちで放つだろう。だから、この一本の矢で事を決すべきだ。
つまり、現在の一瞬において、やるべきことを直ちに実行せよ、とのありがたいお言葉である。
原典は、『徒然草』である。
こういう教訓的な言葉を本編の中に入れるのはドラマの質が向上するので好ましい。
何だか得をした気分になれる。
しかし、よりにもよって、これを読んだのが、架空キャラクター・駒だったことはいただけない。
織田家の内紛と平手の切腹
一方、信秀が亡くなった織田家では、内紛に明け暮れていた。その機に乗じて今川家が攻める気配を見せる。
そのさなかに、信長の守役で有名な平手政秀が切腹する。
そんなあわただしい中、道三から一度会いたい、との誘いの知らせが来る。
あまりにも有名な聖徳寺での会見。
本日のラストを飾るのは、会見の準備である。
聖徳寺へ
信長は、織田家が混乱している最中を狙ってわざわざ、会いたいなどというのは、道三の策略で、会見中に殺される、と判断し、会わぬと言う。
しかし、会わねば臆病者とそしられ、盟約も破棄。
そうなると帰蝶は美濃に帰らねばなりませぬ、と信長に詰め寄る帰蝶。
そこで、信長は翻意する。
ところが、このドラマ、会見のための準備を帰蝶にやらせている。
というのも、大金を出し、架空キャラの伊呂波太夫に鉄砲隊を集めさせている。
結局、聖徳寺の前の小屋で、道三が信長一行を垣間見てその規模の大きさに驚く有名なシーンは全て、帰蝶の手柄になっている。
あの有名な会見もNHKにかかれば、父の鼻を明かしたい娘の『偉業』になってしまう。
情けない夫と気丈な妻という現在にありがちな構図を戦国の世に持ち込むという、おなじみの愚行である。
前回から引き続いての帰蝶の活躍である。
架空キャラにマウントをとられる藤吉郎といい、妻に手取り足取り助けてもらう信長といい、視聴率欲しさにNHKは、女性視聴者にどれだけ媚びれば気がすむのだろうか。
とにもかくにも、次回はいよいよ聖徳寺の会見である。
今週のお題「わたしの部屋」
そういえば今回のタイトルは『帰蝶のはかりごと』でした。
タイトルからして女性視聴者に媚びています。
次回、聖徳寺の「部屋」で対峙する両者の会話の中身とは?