伊勢谷友介氏はどうして、侍の覚悟を感じずに、大麻に走ったのだろう

近代日本の侍たち

 

 高杉晋作吉田松陰は新しい日本の夜明けを見ずして非業の死を遂げた。

やがて明治になり、大正、そして、激動の昭和がやってくる。

昭和に生きた侍、ジェントルマンなどと評価され、戦前は近衛文麿、戦後は吉田茂といった大物の側近として、時には苦言を呈したほどの人物、といえば白洲次郎である。

彼もまた歴史に名を刻む気骨ある男である。

彼らはいずれも己というものを持っていた。

例え周囲から異端な考えだと言われようと、役職から罷免されようと、あるいはまた、命の危険にさらされようとも、最後まで自分の考えを貫いた。

そうまでして、公のために尽くしたのである。

決して、大麻に逃げたりはしなかった。

 

NHKドラマで、彼らの魂が降りてきたかのような演技をして見せた伊勢谷友介氏は、一体何を感じていたのだろうか。

彼ら『侍の覚悟』というものを感じなかったのだろうか。

 

「吉田さんは立派だったが一つ大きな間違いをした。この憲法は廃棄すべきだった。」

以前、白洲次郎石原慎太郎氏にこう語ったという。

 

次の総理には、大麻に逃げるような臆病者が出ないような、誇れる『侍の国』にして頂きたいものだ。

 

 

今週のお題「もしもの備え」

 

もしもの備えって…その「もしも」が起こってからでは手遅れになる。

備あれば憂いなし。

国防のため、憲法改正は不可避だ、なんてことは、ずっと昔から言い続けているのだが。

次期総理にはご理解頂けるだろうか。