いだてん 第23回 大地

    今回は息をするのも忘れました。気がつけば手に汗が…。

 凌雲閣の悲劇

    ご機嫌の嘉納治五郎先生、神宮競技場完成を目の前にして「 今度3人で見に行こう」とシマちゃん先生とカナクリ氏を誘います。

「じゃあこの子たちはスタジアムを走るんですね。」とシマちゃん先生。

「もう、なんば言うっとか、シマちゃんだって走っとばい。」すかさずカナクリ氏。

「そうだよ。君はまだ若い、諦めるな!」治五郎先生もそう言ってシマちゃんの娘りくちゃんをあやします。

 

    神宮競技場見学の日がやってきました。大正12年9月1日。

連絡ミスでシマちゃん先生は今日が競技場見学の日だとは知らず、竹早の女学生たちと、放課後、浅草オペラを見に行くことになっていました。お昼に浅草12階(凌雲閣の別名)集合とのこと。一方、カナクリ氏は治五郎先生と神宮へ。

 

「夕方には戻りますから」そう言って、娘のりくちゃんを預けてオペラを見に行くシマちゃん先生。その時のりくちゃんの泣き声がまるでなにかを暗示しているようでした....。

 

5万5千人収容の競技場に驚きを隠せないカナクリ氏。シマちゃん先生も凌雲閣12階から競技場を眺めます。興奮のあまり競技場を走るカナクリ氏。

 

やがて、雨が降る。もうすぐ12時。少し外へ出でいたシマちゃん先生。雨をしのぐため少し中へ入る。

 

神宮競技場。自分は今、62歳だが、東京にオリンピックを招致した後も、柔道を世界中に広めるためにもっと長生きしなければならない、とカナクリ氏に自分の夢を語る治五郎先生。2人は競技場の真ん中にいました。

 

     その時、午前11時58分。写真が倒れる。本棚が揺れる。家の中のすべての物が踊るようにして落下する。家全体が踊っている。大地が揺れに揺れて建物という建物は無残に崩落していく。凌雲閣のそばにいたシマちゃん先生も立っていられません。倒れた彼女はすぐに振り返り、自分の上にのしかかってこようとする物に目をやっている様子…。

 

ーー随分長い揺れでした。

 

    その後、カナクリ氏は皆の無事を確認しに行きます。でも東京の街は火事で真っ赤に染まっていました。地震そのものより火災による被害の方が大きかったようです。南風に乗って火の手は広がり2日間で東京を焼き尽くしました。りくちゃんの無事を確認しに来た増野さん(シマちゃん先生のご主人)。彼と一緒にシマちゃん先生を探すことになったカナクリ氏。途中で富江さんと出会い「シマ先生見なかった?」そう聞かれます。「一緒じゃなかったとね?」とカナクリ氏。「12階で正午に待ち合わせしてたんです」答える富江さん。「12階?」そう言いながらゆっくり振り返るカナクリ氏。そして、「なーし、こぎゃんこつが」目を見開いて驚きます。カナクリ氏の見つめる先には8階から上がなくなった凌雲閣の姿ががありました。残りの部分もすっかり焼けてしまっていました。「シマちゃん、シマちゃん」叫んでも見つからないので尋ね人の紙を貼ります。街中はそんな紙でいっぱい。どれくらい時間がたったでしょう。「どこかであきらめなくちゃいけないんだろうな」泣き崩れるご主人の増野さん。励ますカナクリ氏。「あきらめたらいかん!」死者・行方不明者計11万人ともいわれる関東大震災。この大河『いだてん』は今までどちらかといえば喜劇的要素が強かったわけですが、だからこそ今回の悲劇はかえって強く印象に残ります。もうシマちゃん先生の笑顔を見ることはできないのでしょうか。りくちゃんのあの泣き声だけが耳に残ります……。