大阪帝国の野望?

 

都構想は大阪の野望に他ならない?

 私は、正直、大阪がどうなろうと知ったことではない。堺市がつぶれようが、府と市が統合しようが、それを決めるのは大阪府にお住まいの方々である。

ただ、いわゆる都構想なるものが他府県に影響を及ぼすのであれば話は別である。

そもそも大阪府民は、この都構想など言い出す前から、なにかというと、東京への対抗意識をむき出しにしてきた。

阪神・巨人戦から始まって、スカイツリー·アベノハルカスに至るまで、枚挙にいとまがない。

もちろん、今回の都構想がこのような軽い気持ちで持ち上げられた訳ではないことは承知している。

二重行政を解消して効率化することなどは維新の会の議員がよく叫んでいる。

ここから先は、私の身勝手な見解である。

本当に、維新の会の皆さんは二重行政解消などの大阪の健全化のためだけにこの都構想を実現させようとしているのだろうか。

否、私はそうは思わない。

都構想だの二重行政だの難しい言葉が踊っているが、やはり、問題の本質を見誤ってはならない。

そう、東京への対抗意識である。

そして、何より重要なのはその旗頭に大阪が君臨することである。

人が何かを成し遂げようとするとき、決まってその動機は単純なものである。

もちろん、こんなことをいきなり言い出すと他府県から叩かれるのは明らかである。

そこでまず、大阪府民を説き伏せる。

他府県の手前、対抗意識だの旗頭だのとはおくびにも出さず、二重行政の解消などの府内の問題解決を全面的にアピールする。

さて、めでたく大阪都になれば、次に道州制の議論を国会に問題提起する。

地方分権がもてはやされる昨今、道州制に移行することも考えられなくもない。

もしそうなれば、すでに都に移行している大阪は関西州の中心に上り詰めることになろう。

道州制がどのような形になるのかは不明だが、各州はとにかくまず、州都を発展させようとするだろう。

現在の県庁所在地が発展するのと同じ理屈である。

とすれば、現在の兵庫県京都府などはそれぞれ、関西州の兵庫区や京都区などと呼ばれて、大阪都に集められた富のおこぼれをいただく辺境の区に成り果てるだろう。

これは結局、形を変えた中央集権ではないのか。

こうなればもはや、兵庫県京都府などの歴史や伝統は、大阪の東京への対抗意識のために、非効率的だとして消え去ることになる。

まさに、今、伝統ある堺市が消え去ろうとしているように。

一度消え去った歴史や伝統はもはや取り戻せない。

しかし、効率化を前に歴史や伝説などは握り潰される。

こうした効率化を理由に歴史や伝統を葬り去るような都構想に、少なくとも私は声を大にして反対している。

他府県の富をかすめ取るだけでなく、尊い歴史や伝説、文化を消し去り、阪神タイガースと粉もんとオバちゃんと吉本に代表される大阪の低俗極まりない文化で一括りにされる関西を想像するだけで身の毛がよだつ。

一時の流行に流されぬよう賢明な判断を待つのみである。

 

 

今週のお題「運動不足」

 

この問題は決して大阪にとどまるものではない。しかし、いまいち他府県の反応が鈍く感じる。「運動不足」なのでは?