『デジタル庁』がもたらす悲劇

 菅政権は行政サービスのデジタル化のため『デジタル庁』なる組織を作り上げようとしている。しかし、私は、これについては全く感心しない。今回は、デジタル化推進の3つの問題点について書いてみたい。

『デジタルは安全』神話

 以前、「消えた年金問題」が話題になった。誰の年金記録か不明のものが5000万件も見つかったという問題である。紙媒体からパソコンに入力し直す際に起こった入力ミスが原因とされた。結局、アナログであろうとデジタルであろうと人間が関与せざるを得ない以上は間違いは必ず起こる。一見すると、デジタル機器に委ねた方が安全な気がするのが落とし穴というわけである。実際、一部の会社では、ハッキングやウイルスを恐れて、最高機密事項の管理には紙を使っているというから笑い話だ。私は、漠然とデジタルは凄いなどといったある種、『デジタル信仰』とでもいうべき愚かしい考え方からむしろ脱却すべきであると思う。

 

高すぎる料金

 行政サービスをデジタル化するということは、当然ながら、我々国民もそれに対応したデジタル機器を持たねばならないことを意味する。具体的には、各家庭にネットに接続されたパソコンなどの機器がなければならない。では、どこのどなたがネット接続のための料金やパソコン代を支払ってくれるのだろうか。言わずもがな、我々国民一人一人が負担せねばならない。電気代やガス代など生活に最低限必要なものにも毎月出費せねばならないのに、なぜ、これ以上の出費を要求するのか。通信会社を儲けさせる必要はどこにあるのか。政府と通信会社との間に癒着でもあるのではなかろうか、と勘ぐってしまう。先頃、菅総理は携帯料金の4割値下げを要求したが、そうではなく、そもそも、インターネット環境にかかる料金をほとんどただ同然にしてもらいたい。全国にwifiを普及させるのも結構だが、肝心の家の中でインターネットをするのに毎月少ないとは言い難い料金を支払うのでは無意味だ。そもそも、過去の通信手段にかかる料金はどうだっただろうか。例えば、郵便では、確かに切手代やハガキ代や封筒代はかかるがいずれも安いし、書留など特殊な手段を利用すれば料金は上がるが、決して月額料金ではない。また、固定電話は月額二千円程度だろうか。いずれにせよ、ネット環境を各家庭で整備するのに、固定電話よりも相対的に高い月額料金を追加で支払わねばならない。

 

操作中のトラブル

 このブログを見て下さっている皆さんの中でインターネットやパソコンに関する何らかのトラブルに巻き込まれた方はおられるだろうか。巻き込まれたことがない人の方が稀だと私は認識している。例え結果的にどんなに些細なトラブルであったとしても、あるいは、そもそもトラブルでもなく単に自分自身がトラブルに陥っていただけであったとしても、その間、何かしらネット上の作業に不都合を来したはずである。その原因が判明するまで作業を中断せざるを得ない。場合によっては専門家を呼ぶなりして対処する必要が出てくる。また、悲惨なのは、トラブルに気づかずに、誤った操作により、期待した結果とは違った結果になってしまうことである。例えば、つい先日のコロナの時の10万円の給付金申請がそうである。二重申請や記入漏れがいかに多かったことか。結局、ネットで簡単に申請出来ると謳っておきながら、自治体にしてみればかえって手間がかかり、結局、10万円が申請者の元に届くのが遅れてしまった。これは他ならぬ申請者の操作ミスやトラブルへの対処ミスに由来する。政府が如何にネット環境を整備したところでトラブルは必ず起こる。このトラブルに対して適切な判断を下せる能力を我々国民に求めているのである。しかし、考えてもみれば、おかしな話で、給付金申請という目的達成のために、これとは別次元のネットトラブルという問題を抱え込むのである。これが、紙媒体ならそのようなトラブルを抱え込むことはまずない。例えて言えば、申請書を書いている最中にボールペンのインクが切れたとか、最悪の場合は申請書が破れたなどがあろう。しかし、前者は、新しいボールペンを買いに行けば済むし、後者であっても、時間はかかるかもしれないが、新しい申請書をもらいに行けば済む。要は、トラブルの対処法ははっきりしていて誰であっても迷うことはない。この点が、ネットトラブルとの違いである。ネットでは、ネットトラブルに慣れている人、慣れていない人で明暗が分かれてしまう。

 

 

デジタル一本化?

 

 さて、これまで散々と、デジタル化の問題点を書き殴ってきたが、こうした問題点に対処するためにも、アナログとデジタルを併存させるであろうことは、私も承知の上である。10万円の給付金について、郵送による申請とオンライン申請の2つが提示されたことは記憶に新しい。が、しかし、私はあえて言いたい。やがて、そう遠くない将来、デジタル一本化にする腹づもりではないだろうか。先に挙げた問題点に対する回答など何とでも言える。「アナログでもデジタルでも間違いは必ず起こるのなら、利便性を優先してデジタルにしましょう。料金が高いというが、洗濯機や冷蔵庫やテレビだって皆さん買っているでしょう。それに、トラブルがない家電はありません。専門家を呼んだり、買い替えればいいではないですか。いつまでもアナログにしがみついていると、諸外国に置いていかれますよ。」私には国民にデジタル教育を施す未来が見える。

 

 

 

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

世の中がデジタル化すれば、アナログで育った老人が最も被害を被るのかもしれない。

送れたかどうか分からない画面上のクリックよりも、実際に郵便物を投函する方が確実であることを最もよく熟知しているのはこうした老人である。